山梨県富士吉田市 FUJI TEXILE WEEKへ
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高速バスで約2時間。私の住む海辺で見慣れたヤシの木の風景は、いつのまにか山へ、そして色づいた紅葉へ。バスを降りると、澄んだ空気はぴりりと冷たい。
富士山が目前に迫る、山梨県富士吉田市。1000年以上続く織物の産地だという。だから伝統的な街並みを想像していたけれど、街の中央を走る商店街には、現代的なデザインを取り入れた店も増えているよう。
寒さが苦手な私がこの地を訪れたのは、FUJI TEXTILE WEEK でKimberley(キンバリー)に会うため。

富士吉田市では、日本の他の多くの地方都市と同じように過疎化が進み、65歳以上の人口割合は3割を超える。また、20歳以降の若年層の流出超過も顕著で、一度街を離れた若者たちが、なかなか戻ってこない状況が続いていたという。(2020年 富士吉田市調査より)
そんな街の「記憶」を保存しようと、使われなくなった織物工場や倉庫、店舗を展示空間として再生し、新たなアイデンティティを育てようとしているのが、テキスタイルとアートが交わる布の芸術祭、FUJI TEXTILE WEEK。
この日、街には国内外からの来訪者が集まり、展示を巡る都会的なスタイルの人たちや、間近に迫る富士山をカメラに収めようとする人々の姿が目立っていた。
これから会うロンドン出身のKimberleyは、30歳を迎えたばかり。以前、6週間ほど滞在した富士吉田での暮らしが忘れられず、2度目の滞在をするために戻ってきたという。彼女はなぜ今、この街に戻ってきたのだろう。
私たちが見過ごしがちな日本の風景に、彼女なりの答えがある気がして、話を聞くことにした。

Kimberley Cookey-Gam(キンバリー・クッキー=ガム )
イギリスとナイジェリアにルーツを持つアーティスト、1995年生まれ。現在、山梨県富士吉田市に2度目の滞在中。
NikeやPaloma Woolとのコラボレーション、世界のデザインシーンに影響を与えてきたロンドンのV&A博物館で “Ones to watch” にも選出。2022年には、富士吉田市にあるSARUYAのアーティスト・レジデンスに参加し、そこで初めて日本と出会う。
かぎ針編みを中心とした彼女の制作スタイルは、“tender connections(やさしいつながり)”と名づけられ、アートと衣服、人々のつながりを横断するもの。自然の中にあるさまざまな生物に視点を近づけ、そこに潜む「細胞」から着想を得たかたちに、自身のアイデンティティをかけ合わせながらやわらかに進化し続けています。

都市と村にルーツがあるということ
— まずはKimberley自身について聞かせてください。子どもの頃の記憶やロンドンで過ごした時間など、あなたのルーツについて。
生まれはロンドンなのですが、生後6ヶ月から2歳ごろまでは父とナイジェリアで暮らしました。それからロンドンに戻って学校に通い、友達ができて。子ども時代の大半はロンドンで過ごしています。
ただ、毎年夏になると、1ヶ月から6週間ほどナイジェリアで過ごしていたんです。周りの友達と比べても、こんなに頻繁に行き来しているのは私くらいだったので、私はずっと、自分のルーツとつながりながら育ってきた感覚があります。
ナイジェリアの暮らしはロンドンとはまったく違っていて、「当たり前」が当たり前じゃなくなる。だから、些細なことに感謝する癖がつきました。
— ナイジェリアでの暮らしは、どんな感じだったのでしょう?
自然のど真ん中です。
国旗のグリーンが象徴するように、ナイジェリアには自然が本当に生活のいたるところにある。
ナイジェリアではよく祖母の家に行っていたのですが、とにかく「本格的な村」という環境でしたね。
例えば、シャワーを浴びたり料理をするには、まず水を汲みに行かなければいけない。水は蛇口をひねれば出てくるものではなくて、バケツを持ってどこかに汲みに行くもの。
すべてが自然の中に深く深く入り込んだような暮らし。
すべてがとてもオープンで、家族は「コンパウンド(Compound)」とよばれる敷地のなかで、みんなで一緒に暮らしていました。祖母、子どもたち、そして孫たち。その全員が、ひとつの大きな場所に集まって暮らすのが一般的なんです。それぞれの家族に個室はあっても、大きな家族として一緒に暮らします。
*コンパウンド (Compound):複数の家族が共同で暮らす、アフリカでの伝統的な住まい方。家族の絆や共同体を重視するアフリカで、単なる「家」ではなく「家族のコミュニティ」としても機能する生活・文化様式。
ー ひとつのコンパウンドには、何人くらいが一緒に暮らしているのですか?
家族にもよるけど、だいたいどこも大人数。
ロンドンで生まれた私は一人っ子ですが、母は7人姉妹の末っ子。国外に移ったのは母だけで、ナイジェリアで暮らす他の6人の姉たちにはたくさんの子どもたちがいる。親戚やいとこたちがいるから…たしか20〜30人くらいがコンパウンドで暮らしていたと思います。
ー わぁ!とても大人数ですね。
そう。ロンドンの暮らし方とは真逆。
イギリスでは、実家を出て離れて暮らすのは普通だし、親が年を取れば施設に入れてしまう人も多い。でもナイジェリアではあり得ない。家族はずっと家族の中にいて、ずっとコミュニティの一員なんです。
家族がいつもそばにいる、そして自然とともに暮らすことは、とてもシンプルで美しい文化だと感じるようになりました。
ー 私もロンドンで暮らしていたことがありますが、イギリスは誰に対しても一線を引いているというか、個人主義的な空気がありますよね。

ふたつの場所、異なるリズム。そしてみつけるアイデンティティ
— 夏の休暇を終えて、ロンドンに戻るときの感覚は?
子どもの頃は、よく、ほっとする気持ちがありました。
というのも、ナイジェリアではよく電気が止まることがあって。ある日突然、1日とか、ひどいと1週間くらい、いきなり電気が止まってしまうんです。そうなると、自分たちで発電機を回して電気を作るのですが、そのために燃料を準備しなければいけなかったり、とにかく大変で。
だからロンドンに戻るたびに、「ああ、なんて快適なんだろう」と思っていました。正直、人生が楽になった、みたいな感覚さえあって。
そういう経験があったからこそ、当たり前にあるものに感謝できるようになったと思います。
同時に、ナイジェリアの暮らしも、とても大切に思っていました。あの環境の中で生きることが、私をすごく感謝深い人間にしてくれたから。
だからやっぱり、ナイジェリアに戻るのはいつも嬉しかった。間違いなく。
それに、暑いのも好きだし。

— コミュニティとしての家族や自然との関わり、そしてナイジェリアとロンドンがもつ相反する価値観を行き来する中で、Kimberleyの「自分らしい価値観」が形づくられていったんですね。
そんななかで、なぜアーティストとして表現する道を選び、「かぎ針編み」を表現の媒体として選んだのでしょう?
ずっと、私は「つくること」に惹かれる人間だという気がしていたんです。クリエイティブなことをしたい、何かを生み出したい、って。
かぎ針編みを始めたのはずいぶん前で、たしか10年くらい前。でもその頃は、友達のために何かを編んだり、プレゼントを作ったりする程度でした。それを「アートの表現」だとは、まったく思っていなかった。
大学で彫刻を学ぶようになって、初めて考え始めたんです。でもしばらくの間、私はかぎ針編みと彫刻を、意識的にすごく分けて考えていました。
というのも、彫刻って、木とか鉄とか、粘土とか金属とか、すごく“硬い素材”でつくるものだと教えられるでしょ?一方でかぎ針編みは“柔らかい”。「女性の手仕事」とか、「家で編み物して服を作るもの」みたいに扱われがちです。だから私はずっと、「彫刻とかぎ針編みは別物だ」って意識的に切り離すようにしていました。
でも不思議なことに、いつも最後に、ふたつが一緒になって戻ってくる。
そこから少しずつ、彫刻的な要素を自分のかぎ針編みの制作に取り入れていくようになりました。

少しずつ試してみるうちに、「この素材は、鉄や木や粘土と同じように扱える」と確信するようになった。ただ違うだけ。柔らかいだけ。でも可能性はものすごく大きい。それを、できる限り探りたいと思ったんです。だから、かぎ針編みが “表現の媒体” になったのは、本当に自然な流れでした。
初期の作品は、もっとリテラルというか、目の形を作ったり、すぐ見て分かりやすいモチーフが多かったんです。でもそのうちに、探求したいテーマがより抽象的になってきて、最近の作品はより抽象的なものに変わりました。今は、「細胞」とか、「細胞のかたち」とか、そういうものに目を向けています。
私自身が成長してきたのと同じスピードで、作品もゆっくり変化してきた感じですね。
ー よく、親や家族の影響で表現者となる人も多いのですが、Kimberleyの家族にアートや表現を仕事としている人はいますか?
私の家族の中では、アートを「真剣な仕事」と捉える人は誰もいません。もし「アートをやってる」と言ったら、「え?それって何?」みたいな反応で。職業といえば、医者、弁護士、エンジニア、そういうもの。
だから、そういう道を選ぶ人生もあり得たと思う。でも私はロンドンにいる。ロンドンにいるからこそ、「ちょっと試してみる」ことができる。挑戦して、失敗してもいい。それは別に悪いことじゃない。
何度もナイジェリアで過ごすうちに、もし別の道を選んでいたら、自分の人生はどんな形になっていたのかを、強く意識するようにもなりました。
アートって、生きるために必須ではないかもしれない。最低限の生活は、アートがなくてもできるから。でも、アーティストがいない世界では、本当の意味で「生きている」とは言えないと思うんです。
だから私はずっと、アートを追いかけたい、少なくとも試してみたいと思っていました。どうすれば仕事として成り立つのか、その時は分からなくても。

実は、私がかぎ針編みを始めて5年くらい経った頃。ナイジェリアで車に乗っている時に、編み物をする私の手元を母がじっと見て、「ちょっと貸して」と言ったんです。そのまま渡すと、何も言わずに母がすいすいと続きを編み始めて。この時に初めて、母が編み物が得意だったと知りました。
でも私の場合、周りの人からかぎ針編みを教えてもらったことはなく、ほとんど独学でした。なんというか、これをやることが、私にはとても自然なことだったんです。
後編 に続く>> こちら
Kimberley Cookey-Gam(キンバリー・クッキー=ガム)
Instagram: @crochetcookey
メーリングリスト
Interviewed by Natsuko
Selected images courtesy of Kimberley
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