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彼女とは、兵庫県・林崎松江海岸で開催された The Homesick Moon で出会いました。
前日に来た友人の勧めで会場に駆けつけたというNusha(ヌーシャ)は、一目みてファッションが好きだとわかる人。
自分のジュエリーブランドを持つ彼女は、大阪にあるジュエリー学校で七宝焼などの日本の伝統的な職人技術を学ぶために来日したそう。
会話の途中で、彼女が今読んでいるというこんな本を見せてくれました。見慣れない文字のタイトルは私にはよくわからないけど、どうやら日本や東洋の文化を深掘りしているみたい。
東洋の精神性と西洋の合理主義を対比する話らしい ー "The Art of Hearing Heartbeats"
「私たちの文化にリスペクトがある人なんだな」と感じて、Nushaにもっと話を聞いてみたいと思ったのが今回のインタビューのきっかけ。
大阪での学校通いを終えて東京に遊びにきていた彼女に、どこから来てこれからどこに向かうのか聞いてみました。
Nusha(ヌーシャ)
ジュエリーデザイナー / 大阪にジュエリーの職人技術を学びにきました
1998年生まれの27歳、イスラエル出身
好きなもの:自分のレーベル @nusha_jewelry / 和牛 / ショッピング
苦手なもの:荷造り。日本で買い物しすぎて増えた56kgの荷物は、休暇で日本に遊びに来た両親にそれぞれ持ち帰ってもらった
ジュエリーは、自分らしさと自信を引き出してくれるもの
ー 今日はありがとう!東京で再会できて嬉しい。大阪暮らしはどうだった?
最高!ずっと気になってた日本の伝統的な職人技術も学べたし、私の他にも海外から来たクラスメートが数人いて、色んな刺激を受けたよ。

授業で作った七宝焼のブローチをつけて、イギリス出身のクラスメートとパシャ
ー いま身につけてるシルバーのジュエリーも全部、NuShaが作ったんだよね。いつからジュエリー作りをしてるの?
自分のレーベル NuSha Jewelry を名乗るようになったのはティーンエイジャーの時。友達が私のつけているジュエリーを見て、「私も欲しい!」と言ったから。初めは見よう見まねで作っていたんだけど、周りの友達たちからも引き続きリクエストがあって、気づいたら何年も続いてた。
ジュエリー作りを始めた当初は、今とは全然違うビーチカジュアルな感じだったんだけど、ある時から彫金にはまっちゃって。ちゃんと学びたくなってアメリカのカリフォルニアに渡って学んだりもしたよ。
それからイスラエルに帰ってショールームを開いたり、婚約指輪とか人生の節目にジュエリーを注文してくれる人もいたり。
このまま続けててもいいかなって思ってたんだけど、ある時、ふと自分を試したくなって、エルサレムにある有名なアートとデザインの大学 Bezalel Academy に応募してみたの。そしたらするっと受かっちゃって。
で、大学でがっつりジュエリーについて学ぶことにしたの。
ー そこで日本に来たきっかけは?
エルサレムの大学で教えてくれることって、どちらかというと「デザイン」とか「コンセプトの作り方」とか頭脳的な部分が多いの。実際にビジネスとしてブランドを運営、拡大していくのに大切な部分なんだけどね。
それに対して、日本が得意なのは「ものづくり」や「職人技術」とか手を動かすこと。地元にいるだけでは学べないことがあるなって思って、Bezalel Academy大学が提携する留学プログラムを通して大阪にきたよ。
ー たしかに日本はものづくりが得意だし、だからこそ技術を教えてくれるのが当然の感覚になってた。国が変われば、具体的な技術は大学で教えないって逆に新鮮!
イスラエルは、東西の端から端まで車で1時間、北から南までは5~6時間程度の小さな国。歴史的にも、いつも国民が世界中に分散しているから、色々な土地でなにか吸収しようという姿勢は強いかもしれない。
世界中どこにいてもイスラエル人同士でつながれる仕組みも充実してて、例えば、いま日本にいる同郷の人たちと連絡が取れるアプリもあるの。そもそもイスラエル人って、愛情深くてフレンドリーな気質。東京や大阪とか地元から遠く離れた場所にいても、人見知りしない同郷の人たちと気軽にご飯に行けたりして楽しい。
靴が大好きで、日本滞在中に色々買った。ショッピング大好き。
ー 実は、イスラエル人に出会うのはNushaが初めてで。日本語の情報も少ないから新しい発見が多いよ。
国民が世界中色々な場所に散らばっている関係で、いわゆる「イスラエル人らしい見た目」ってないの。私の場合も母はヨーロッパ系だし、同じ街にいてもみんな見た目はバラバラ。実際、私もスペイン人に見間違われたりもしたしね。
でも私たちにとっては共通する何かがあるのか、歩く姿を見ただけで「あ、イスラエル人だ!」ってわかるんだよね。
兵庫県で出会った後も、日本各地を訪ねていたNusha。インタビュー当日も、数日前まで父親が日本に遊びに来ていて、次は入れ替わりで母親が来ると話していた。都市でのショッピングから自然あふれる地域の旅までエリアやジャンルを超えて日本を楽しんでいた。

ー NushaにとってのHOME(故郷)って?
愛する人たちが待つ、かけがえのない大切な場所。
母国について色んな印象を持つ人がいるけど、私は自分の故郷が大好き。
そして、私はジュエリー制作という私自身の基盤ー HOME ー を通じて、人に喜んでもらうことを続けていきたい。ジュエリーを身につけることで、もっと自信を持って出歩く人が増えたり、喜びが広がるといいなと思ってる。
私の作ったジュエリーを身につけている人を見かけると涙が出そうになるくらい嬉しいの。
ジュエリーづくりは自分のライフワークで、彫金している時はもう瞑想というか、誰も邪魔できないゾーンに入るような感覚。制作に入ると数時間〜半日くらい、携帯もチェックしないし連絡も返さない。そのくらい全力で創造力を注いでいるし、ジュエリーと向き合っている時間にどんどん新しい自分自身にも出会えている気がするんだよね。
これからもずっと自分のレーベルNuSha Jewelryを育てていきたいし、私の情熱すべてを注ぐこの活動を応援してくれる家族や友人たちには感謝しかないよ。日本滞在の後は、次のセメスターが始まるまで東南アジアでしばらく夏休みを過ごすつもり。その後、大好きな人たちが待つ故郷に帰るのも楽しみ。
ー Nushaはアメリカや日本、これから東南アジア…と、これからも旅と移動を続けていくでしょ。国を超えて居場所を変えることで自分が何者かよく分からなくなるような感覚 ー "アイデンティティ・クライシス"になったりしない?
なったことない。むしろ居場所を変えることで、もっと本質的な自分に出会えている気がする。
HOME(故郷)とは違う環境に身を置けば置くほど、自分が何者だったのかわかってくるような感覚かな。
ー へぇ、その感覚おもしろい。日本人だと「パリ症候群」とか、夢見て向かった外国でアイデンティティ・クライシスになるって話もよく聞くんだよね。Nushaは、HOMEとなる自分の軸がしっかりしてるから、どこに行っても自分が見つかるような、そんな感覚が生まれるのかもね。
旅先で見つけた「何かいいもの」をHOMEに持ち帰る。
HOMEから出ず、そこでなんとかしようとする人が多い日本。(地政学的にも、災害復興の観点からも、そうなりがちな理由はあるものの)境界線の内側に留まることへのこだわりの強さゆえに、外の世界を気軽に見に行きづらかったり、外の世界を知った後に気軽に帰りづらくなるという側面もあると思います。
HOMEの定義ってなんだろう? それは地理的なものだけなのか、人々に共通する想いなのか。
私たちは誰しも、生まれ育つHOMEは選べない。だからこそHOMEの外も気になるのだけど、
旅やインターネットで境界線を超え、もっと気軽に内と外を行き来する人が増えている今の時代に合った私たちのHOMEとは?
Nushaとのインタビューから、考えるきっかけになればいいなぁと思います。
About NuSha
"NuSha(ヌーシャ)は、「言いたいことがある人」のために生まれました。でもそれは、どこか風変わりであいまいで、社会が私たちに求めるような規則的なものではありません。
NuShaは、自分の望むままに進む勇気を持つ人のためのものです。たとえそれが、大多数と完全には足並みを揃えないことを意味するとしても。
私の願いは、NuShaの作品、つまり自分が生み出したジュエリーを身につけたときに感じるあの感覚を、あなたにも受け取ってもらうこと。その感覚とは、力を与え、自分の中心をかんじtr、唯一無二で特別な存在にしてくれるのです。
だからこそNuShaは生まれました。
あなたを、あなたの人生の中心に置くために。"

NuSha Jewelry
Mood of NuSha's Japan times ♨️
Photos by Nusha
Interviewed & text by Natsuko