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「なんとなくお店に立っていたら、モデル事務所の方にスカウトされたんですよ」
…と話すなおこさんは、現在ロンドンに在住の62歳。モデルを始めて4年が過ぎたところ。
若者やクリエイターが集まる東ロンドンのカルチャー中心地、ショーディッチ地区を拠点に活動する彼女は、まるで街の活気を身にまとったように、エネルギッシュでハキハキした印象の女性です。
「私の何が良かったのかよくわからないけれど、 “あなたのエネルギーがよかった” と言われたことがありますね」
スカウトされた時のことをこう振り返ります。

for @asmussclothing
for @asmussclothing
for @londonessenceco
「まさか自分がモデルになるとは、思ってもみなかった」というなおこさん。58歳から思わぬキャリアチェンジをした彼女に、話を聞いてみました。
37年間続くロンドン生活が始まったバブル期
1988年に日本からイギリスへ渡ったなおこさんは、現在、在英37年目。

こうした数々の分かれ道を越えて、 37年間ロンドンに住み続けている彼女。ここに至るまでに、たくさんの “選択” と “決断” があっただろうことは想像に難くありません。
そんな彼女がイギリスに来たきっかけは、テキスタイル(織物)を学ぶためでした。1988年に、アートの名門、ゴールドスミス大学に入学。バブル最盛期だった当時、日本は世界でも並々ならぬ経済力があったので、大学には日本人を優遇する “日本人専用クラス” があったといいます。
「ただ、英語力がなくて、入学後すぐに脱落しました(笑)」
仕方なく英語を学ぶことから始め、当時の英語力でテキスタイルの基礎を学べそうだったセントマーチンズ大学へ。その後、ミドルセックス大学に入ったところで、テキスタイルからガラス工芸の専攻に変更。ここから、ガラス作家を目指すようになります。
やっと夢見たアーティストに。華やかなデビュー後、のしかかる苦悩
ガラス工芸に転向した理由は「立体的な造形が好きなんですよね。テキスタイル専攻の時も、ジャガードやプリーツなどの立体的なものを好んでいましたね。だから、布という平面のものが物足りなくなってしまって。
あとは、実家がある長野県白馬村は冬が長くて。子どもの頃から、雪の結晶やつららを見て育ったのも大きいかもしれないですね。」
たしかに、雪国のつららはガラスのよう。
自身のルーツとも重ね合わせたガラス工芸の選択は功を奏して、アート分野で世界トップといわれる名門大学、ロイヤル・カレッジ・オブ・アートの修士号までたどり着きました。
そして2000年、大学院卒業とともに紹介されたアートギャラリーに所属。ギャラリーへの所属がその後の明暗を分けがちなアートの世界で、なおこさんは華やかなデビューを遂げたのです。
テキスタイルのような表現が特徴的。
新人アーティストとして、幸先のよいスタートを切ったなおこさん。活動はイギリス国内にとどまらず、フランスやオランダなどでも展示され、個展でもグループ展でも作品はよく売れました。美術館に収蔵されたことも。
さらに作品は海を渡り、ニューヨークのコレクターが買ってくれたこともあります。
ただ、アーティストとしての活動は自営業と似ていて、さまざまなことを自分で管理しなくてはいけません。SNSがなかった当時、さまざまなことが人づてで行われ、自分のPRも今ほど楽ではありませんでした。
そもそも英語があまり得意でなく、まずは学業に集中していたなおこさんに、異国の地で新たな壁が現れます。
加えて、悩みの種になったのが作品制作に必要な制作スタジオの維持費。ガラス制作には、大型重機や配線などの大掛かりな設備が必要で、高熱の材料を扱う制作スタジオの維持費は驚くほど高額に。
長らくアーティストとしての自立を夢見ていたなおこさんにとって、これは想定外の大きな負担でした。
しかし、制作スタジオがなければ作品が作れない。高額な維持費を補うために、なおこさんは他のガラス作家の工房を手伝い副収入を得るようになります。
ガラス制作時代の足あと。ガラスを水中で削って磨くために、とにかく右手を酷使していた。
ガラス制作は重労働で、体力を削ります。いつしか、日々の維持費を稼ぐための副業で疲れ切ってしまい、なおこさんは肝心な自分の作品が作れなくなっていました。
なんとなく過ごしていた日々に転機が
「とにかく、ほっとしましたね」
ガラス作家を辞め、近所のショップ店員になった時の気持ちを、なおこさんはこう振り返ります。
自分の作品が生み出せない葛藤、日々の維持費を稼ぐための重労働、そしてただ残る疲労感。
“何か違う” と思いつつも「7年間も学びに費やしたことが足かせになってしまって、なかなか辞める決断ができなかった」といいます。
まずは作品を制作し、それをPRして販売し、収入を得る。
どれが欠けても収入につながらない自営業は不安定にもなりがちで、さらに感性が必要なアート制作では、自分の気分が作品の良し悪しにも影響してしまいます。一方で、出勤すれば一定の収入が得られる雇用システムの中に入れば、不安定な要素が減り、安心感がうまれるのもうなづけます。
日本のように “無料のサービス” とか “誰かが守ってくれる” という感覚が少ない外国生活。さらに、ロンドンのような国際的で競争の激しい都市では、 “お金=身を守るツール” としての意味合いも強くなります。
“何を守るべきか” と大きな決断を迫られた時、なおこさんが選んだのは “心身の安定” でした。
実は、ガラス作家を辞めた後、何年間もガラスが悪夢として現れるほど、心残りが深かったというなおこさん。そんなガラスへの想いになんとか蓋をして、アパレルのショップ店員として目の前のことをこなしながら過ごして十数年が経った頃。ある日、前述の転機が訪れます。
なんとなく過ごしていた日々に、突然あらわれたモデルのスカウト。
自分のスタイルを持ち、表情豊かにハキハキと周りと会話するなおこさんの姿が、モデルとして一緒に働く場面を想起させやすかったのかもしれません。
58歳で初めてのモデルデビュー。撮影現場はチームワークでもあります。
for @tatlermagazine
for @mujieurope
for @obsmagazine
for @wiseaccount
「 “自分が役に立てそうだ” と感じる撮影は、できるだけなんでも受けるようにしています。 “楽しそう” と直感的に思うものは特に。」
そう語るなおこさんの元にやってきた WISEの広告撮影 では、主役に抜擢。撮影現場のあるハンガリーに向かい、バイクやサーフボードに乗ったりと、映画さながらのアクションシーンもこなしました。
撮影現場はこんな感じ。for @wiseaccount
「この撮影は動きが多かったので、日頃からヨガやボクシングをやっていて本当によかったと思いましたね。何気なく身につけていた動きの型が、撮影で求められる動きとぴったりはまったんです。
いつどんな撮影が来るかわからないから、日頃から体を鍛えておかないと、と改めて思いました」
東京ー大阪のような感覚で、近隣の国への出張があるのもヨーロッパならでは。さらに、このキャンペーンはイギリス国内だけでなく、カナダやオーストラリアでも大きく公開されました。
オーストラリア、メルボルンの駅にて。for @wiseaccount
「モデルの仕事は前日や数日前など、急にオファーが来ることも多いんですよ。
“なおこ、今週の日曜なんだけど…” と突然の相談が来ることもよくあって。」
そう語るなおこさんは、ランウェイや写真家のエディトリアル撮影など、広告以外のさまざまな表現にも積極的。
for @sunnei
自分が楽しいと思える撮影が好きで、現場の期待に答えたり、自分の表現が褒められて、さらにそれが仕事になっている感覚が嬉しいと話すなおこさん。
「楽しい」や「好き」の感覚を頼りに、やってきた波にひょいと乗れるのが、彼女の魅力なのだと感じます。
表現の旅は続く
旅好きなイギリス人の夫に連れられて、休暇は外国で過ごすことも多いなおこさん。アフリカのガーナ、エチオピア、南米はチリ、メキシコ、コロンビア、ウルグアイ…など、手仕事と民芸品が豊富な国によく赴きます。旅先にはだいたい数週間ほど滞在し、現地で作られた手仕事感のあるテキスタイルや工芸品を買い集めるのが趣味だといいます。
次は、いつの間にか集まった世界中のテキスタイルを使って、バッグや小物を作ろうと考えているそう。

37年間のロンドン生活でいろいろな道を経て、なおこさんが当初イギリスを目指した理由でもあるテキスタイルでの表現に、今立ち戻る時なのかもしれません。
旅、手仕事、そして今まで歩んできた道のりで得たいろいろな経験をミックスした、次のステップも考えている彼女。

年齢について尋ねると
「正直、体のあちこちが痛かったり、天気が悪いとガラス作家時代に痛めた腰がうずく日もあるんですけど」…と前置きをしたうえで
「周りの目は気にしませんね。気にしてもしょうがないじゃないですか。」というなおこさん。
自分のアンテナが赴くままに、自分の気持ちに正直に。これからもどんな表現の道を切り開いていくのか楽しみにしています。

Naoko Sato (Grey Model Agency 所属)
for @pawelpysz
Interview with Naoko (@glassleopard)
Photos courtesy of Naoko / modeling & glass work
Text by Natsuko
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